人生旅行

5年以上住んだ沖縄を離れた。

風俗をやりながら結婚生活をまともに営むメンタルを私は持ち合わせていなかった。ソープランドに生活費を稼ぎに行くのは、かなりしんどい。大人になると自由と一緒に責任が伴うらしいと風の噂で知っていたが、こんなに重たくのしかかるだなんて誰も教えてくれなかった。浴びるほど飲んで、自殺未遂、痣だらけになっても朝がくれば出勤確認のLINEに「出勤大丈夫です☺️」と返信し、ストゼロを買い込んで送迎車に乗る。接客は酒で正気をなくしてやりきる。仕事はつらい。金がないのはもっとつらい。分かっているから辞められない。気づいたら真っ昼間の国道に血まみれでTシャツ1枚のままうずくまっていた。限界だった。今さら純情ぶる気もないが、風俗の仕事を終えて大好きな旦那の待つ家に帰るのは私にとってはかなりストレスだったようだ。旦那は世間一般的に見たらだいぶヤバめ(出会いは店)(前科10年)(とりあえずビールみたいなノリで暴力)だが私は好きで仕方なかった。以前のブログでも書いているが、包丁を突きつけようが風俗で働こうが許容したのがこいつだけだったから、依存に近いのかもしれない。その旦那も私のメンタル大崩壊によって一緒には居られなくなったんだけど。どんなに酒を飲むなと言われても、飲まなくちゃ生きていられない。シラフで死ぬなら、泥酔したまま死んだ方がいい。酒が悪いのではない、私が悪いのである。実家に戻ってから私のメンタルは表面上落ち着いた。心乱されるようなことが一切ないので、処方薬を飲んでボンヤリ過ごすだけの毎日だ。高校卒業と共に沖縄に渡って、本当に色んなことがあった。人生の波乱万丈を詰め込んだような5年だったと思う。初めて夜職もした、風俗もドップリ4年はやった、正直ここには書けないことばっかり起こり、こりゃとんでもねー人生だなと思った。警察官と旦那が取っ組み合いの喧嘩してるとこなんか飽きるほど見た。留置所に入ったら欲しいもの、刑務所に面会に行く時伝えて欲しいこと、前科者の知識の全てをおしゃべりな旦那が教えてくれた。こんな激しい毎日が懐かしく、戻りたいがもう戻れないだろう。

ぼくのじんせいさいごのひ

2月末、私は荒れに荒れていた。

アルコール依存症と鬱、希死念慮の波で、シラフで過ごせる日なんか1日もなかった。

風呂屋と現実が辛すぎて、出勤前にストゼロをあおり、休みの日には朝起きて最初に口にするものはワインだった。夜になり飲み疲れると眠剤で落とす。寝付けないと逆にハイになって叫び出し、おっさん(旦那)と喧嘩することもあった。私の生活は嫁としては最悪であったが気分がいい時は家事をしていたし退勤のたびに数枚の諭吉をテーブルに置いていたので、かなりイライラしても我慢していたようだ。お金って偉大。

ある休みの日、朝から酒を飲み夜も更けてきたので眠剤をかっこんだ。効かない。安定剤も飲む。しかし私はこの安定剤とアルコールの相性が最悪なことを忘れていた。結局寝付けずハイになり、死にたい気持ちがマックスに達し、気づけば己の首に包丁をグリグリと当てて失血死を図っていた。しかし踏ん切りがつかないのか切れ味の問題かどうしても進まない。おっさんはゲームに夢中で嫁が静かに斬首しようとしていても気づかない。側から見ればすごい光景である。なんだこのショボイ包丁!と投げ捨てた私はベランダからの飛び降りを図った。ちなみにうちは3階。激痛のあげく死にきれない高さであることも忘れ、私は柵を半分乗り越えかけた。よっしゃ!もう少しで死だ!楽園だ!と思った瞬間、おっさんが私を部屋に引きずりこんだ。

死ぬな!生きてれば楽しいこともあるだろ!死なないでくれ!と言うおっさん。

私は泣きながら、

「私の幸せを願うなら殺せよ!!!!!死なせろよ!!!!!」と叫び続けていた。

 

「死にたい。もう殺してよ。それが無理なら勝手に死ぬ。」

「分かった。あと24時間だけ生きてて。それから、俺が殺しても、何してもいいから。」

 

これが夫婦の会話か?

 

おっさんも毎日酒を飲んで暴れる嫁を始末したかったのかもしれないが。

 

とりあえず明日人生最後の1日をやり、明後日の朝私は目覚めることは無い、という計画を立てた。あと24時間で私の人生は終わる!嬉しさしかない!その日は安心感と暴れ疲れでそのまま寝てしまった。

 

翌日、私は朝から忙しかった。

通帳のお金を全部おろし、死んだあと滞りなく手続きが進むように遺書とメモを各所に書き、荷物を捨て、お風呂に入った。朝から死ぬ準備をしている嫁を見ておっさんは何を思っただろうか。

午後からは最後に行きたいところあるか?と言われ別になかったけれど、近くに友達もいないから高速に乗ってドライブに行った。いつもよりおっさんは優しく、付き合いたての頃に戻ったみたいだった。高速道路をかっ飛ばしながら、タバコを吸って私は泣いていた。この優しさも、本当に殺してくれるからなのだと思って涙が止まらなかった。海を見て、私はいつもは飲まない、甘い甘い缶チューハイを飲んでいた。最近は昼から飲んでいると文句を言われていたが、その日は何も言われなかった。なんか食べたいもんあるか?と聞かれたが帰りたかったので何でもいいと思いマックとまた酒を買った。最後の晩餐はえびフィレオ。もうカロリーも気にしなくていっか、とまた浴びるほど飲んで酔って、振り払われるだろうな、と思っておっさんに甘えると何も言われなかった。あと数時間で私の生は終わる!殺してくれなきゃもっと高いところから飛び降りるまでだ!と妙に爽やかな気持ちだったのを覚えている。もう寝ようか、とベッドに入るとおっさんが後ろから抱きしめてきて、こんな楽しいなら生きててもよくないか?と言って私は毎日今日ならね。でもこれは夢だから。人生最後の日が毎日続くなら。でもそうじゃないから。って言いたかったけど何も言えなくて、たくさんの眠剤をストゼロで流し込んだ。

たくさんの電気コードに私の指紋をつけて、酩酊状態で首を吊ったことにする予定だった。明日の朝、それをおっさんが発見したことにしよう、と。

眠気が急にきた。もう目覚めることも、苦しむこともない!バイバイ、来世でと言うと、おっさんは少し泣いていた。

 

結果から言うと、お察しの通り私は翌日大量の眠剤とアルコールで重い身体を引きずりながら目覚めた。おい!生きてんじゃん!

まだ生きたいと思って…というおっさんの粋な計らいによって私は朝を迎えてしまった。

その後ラリったまま、また飛び降りようとしたため、警察に保護された話はまた次回にと思う。

結局地獄は自分で終わらせるしかないのだ。

 

戻りたい日に1日だけ戻れるなら、私は人生最後の1日(仮)をもう一回やりたい。死に一番近くて、優しくて、悲しい一日だった。